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自由人という生き方

100%自由に生きるために

あなたは、何かになろうとすることに、たくさんのエネルギーを使っていませんか?

何かにならなくて良かったとしたら何をしますか?

 

「自由人という生き方」の原動力となるものは、好奇心です。何かになろうとする必要はなく、ただ湧いてくる好奇心に従うだけ。それが、自由人という生き方なのです。

 

とはいえ、多くの人の好奇心には制限があります。なぜなら、たくさんの生命エネルギーを「何かになる」ことに費やしてしまいがちだからです。まずは何に好奇心があるのか、どういうところにブレーキがあるのかを見極め、好奇心の制限を外していかなければなりません。その結果「何かになる」ことに費やしていたエネルギーを100%自分に取り戻すことにつながり、好奇心を原動力とした自由人という生き方に近づいていくことができます。

 

そもそも、何かになろうとする必要はないと私が考えるようになったのは、2016年アマゾンの先住民であるアチュア族と出会ったことがきっかけでした。想像を超えた彼らの精神レベルや思考の深さに驚き、生まれたまんまで何者にもならず、ただそこで生きている姿に私は衝撃を受けたのです。この体験を通じて、社会には「こう生きなさい」という方向付けがあり、私たちはこのような社会の仕組みの中で、がんじがらめになりながら生きてきたことが見えてきました。

 

「こう生きなさい」という方向付けとは、たとえば全ての人が何者かになったり、ひとかどの人になるという一方向に向かって生きなければならないという意味です。

 

私はアチュア族との出会いを通じて、本来、生きる方向性は365度無限に開放されており、社会によってつくられた一方向に向かって、必ずしも進む必要はないと考えるようになりました。より良くなることをやる人、怠け者の人、肉体的なことばかりやる人、何にもしない人など、いろんな人が存在する状態が、本当の社会の姿だと感じたからです。

このような社会の姿は、有名な昔話「三年寝太郎」からも見て取れます。

あなたは「三年寝太郎」の話をご存知でしょうか。10日に1回起き出して小便をするものの、それ以外は三年間寝続けていた男の話です。この男の名前は寝太郎といい、村人たちから怠け者として蔑まれていました。両親のすねをかじりながら、寝太郎はずっと寝続けていたのですが、ただ寝ていたわけではありませんでした。日照りにより村の田んぼが全部枯れて飢饉になるため、どうすれば村が助かるのか夢の中で考えていたといいます。

そして三年が経過したある日のこと、寝太郎は夜中に起き出して山の上に行きました。そして、山の上にあった大きな岩を動かし、崖下を流れる川の方向性を変え、田んぼに水を引くことができるようにしたのです。そのあとすぐ寝太郎は寝てしまいましたが、村人の態度は一変し、心から寝太郎に感謝したといいます。

 

いろんな解釈があると思いますが、先に触れた「社会によってつくられた一方向に向かって必ずしも進まなくて良い」「いろんな存在が社会とって必要なのだ」という教えの一つであるように私は感じています。

 

また、いろんな存在が社会とって必要だという考え方は、寝太郎の昔話だけでなく、近年の研究から分かった「262の法則(働きアリの法則)」からも説明することができそうです。

働きアリを分類すると、よく働くアリ、普通に働くけれどたまにサボるアリ、ずっとサボっているアリに分けることができ、その割合は262になるといわれています。2割のよく働くアリだけ全部取り出しても、やはり262に分かれてしまうのだそうです。この自然界の法則は絶対的であり、スーパーコンピューターのシミュレーションによって、全てのアリがよく働くようにしてしまうと、コロニーは早く滅びる結果となりました。

 

これは自然界だけでなく、人間社会でも同じことがいえるはずです。それにもかかわらず、人間社会では262の法則を無視して、よく働くアリのように「全ての人が2になりなさい」と教えているところがあったのではないでしょうか。私も、よく働くアリのように「全ての人が2になりなさい」という教育を受けてきたため、何かにならなければならない、あれこれとやらなければならないと強く感じていたことがありました。

 

特に40代に入った頃、何かになりたい、ひとかどの人になりたいという想いが強かったように感じています。当時の私は、ありとあらゆることをやり始めながら、スキルを身につけてサイボウグのように自分を強化していきました。しかし、次第にがんじがらめにされているような感覚に陥り、最終的には踏ん張れなくなっていったのです。私は「やっぱり違う、自由じゃない。制限されている」という自分のハートの声に従い、何かになろうとすることや、ひとかどの人になろうとすることをやめました。

 

なぜなら、40歳まで自由にしてきていいと言われていたときは、何かになろうとしたり、ひとかどの人になろうとはしていなかったことに気づいたからです。つまり、自然と湧いてくる好奇心に従って生きているだけでした。その後、先にお話したアマゾンでの衝撃的な体験もあり、何かになろうとする必要はないと考えるようになっていったのです。

 

これまで、自然と湧き上がってくる好奇心に従った自由な生き方ができる人は、少なかったように感じています。どちらかというと、権利収入のようなものを持った人しか行くことができない境地だったからです。

 

しかし、現在は収入を得る方法が多様化してきました。それは、20代や30代の若い世代の人たちが、循環型のサロンをつくるなどして収入を得ている様子からも伺うことができます。

 

つまり、湧き上がってくる好奇心にしたがって、自由人という生き方を選択することは、難しいことではなくなってきているのです。

 

ここでもう一度、あなたに質問させてください。

 

「あなたは何かにならなくて良かったとしたら何をしますか?」

 

ゆっくりと時間をとって、何かになろうとするために使っていたエネルギーを取り戻し、ただ湧いてくる好奇心に従って生きてみてください。

これまでとは違った、新しい人生があなたを待っているはずです。

 

 

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